ヒロシマ 1949年8月6日に寄するうた

英国の詩人・文芸評論家エドマンド・ブランデンは、昭和23年(1948年)に広島を訪れ、翌年「HIROSHIMA A Song for August 6th, 1949」と題する詩を発表した。この詩に山田耕筰が曲をつけて合唱曲とし、2代目平和の鐘が撞かれた同年の第3回広島平和祭で披露された。

昭和50年(1975年)、その詩碑が、広島市中央図書館北側の緑地の中に、寿岳文章の訳とともに建てられている。詩碑のデザインはコンペで選ばれた広島在住の美術家鈴木たかしさん、レリーフは彫刻家圓鍔勝三さんの作である。

エドマンド・ブランデン詩碑(中国新聞ヒロシマ平和メディアセンター)


この英語の原詩は、團伊玖磨作曲「交響曲第6番『HIROSHIMA』」の終楽章の後半にも用いられている。


ヒロシマ 1949年8月6日に寄するうた

Edmund Blunden 作詞
寿岳文章 訳
山田耕筰 作曲

       かの永劫の 夜をしのぎ
     はやもいきづく まちびとの
     うちひしがれて うつつとも
     夢ともわかぬ ひとことの
     うらみも言わで 颯爽と
     立ちあがりたる 心意気

          とはに亡びし もののあと
          たちまち動く 力あり
          劫火の灰を かきわけて
          ねがひさやかに あれいでぬ
          身をおこしたる このまちは
          明日をめざして ひとすじに

     ヒロシマよりも 誇らしき
     名をもつまちは 世にあらず
     君は平和の 鳩の宿
     をちこちびとは ここに来て
     よみがへりたる 人類の
     かがやく姿 見るらむか

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