広島の平和の鐘
広島には、たくさんの平和の鐘があります。
ここでとりあげる「平和の鐘」は、広島平和記念式典で黙祷時に点打される鐘です。この「平和の鐘」は、現在使用されているもので5代目になります。
広島平和記念式典は、昭和22年に「広島平和祭」として第1回が原爆ドーム対岸の平和広場で、昭和23年の第2回も同じ平和広場で開催されています。この2年間は初代平和の鐘が平和の塔に吊るされて鳴らされました。
広島平和記念都市建設法が公布された昭和24年の第3回は基町市民広場で開催されましたが、ここで広島銅合金鋳造会が寄贈した2代目平和の鐘が使用されました。
昭和25年は朝鮮戦争のため平和祭が中止となり、昭和26に「平和記念式」として復活しましたが、このときは鐘が用いられていません。
昭和27年以降は、現在の平和記念公園に会場が移されて新しい3代目平和の鐘が使われることとなり、4代目を経て現在の5代目平和の鐘にいたっています。
平和の鐘 | 形式 | 年次 | 式典開催場所 | 平和の鐘の説明 |
初代平和の鐘※1※3 | ベル型(37.5kg) | 昭和22~23年 | 中島公園※2(慈仙寺鼻)「平和広場」 | 中島公園「平和塔」に設置/第1回、第2回平和際(現在の「平和記念式典」)が開催される/昭和26年3月に盗難の届け出、いまだ行方不明 |
2代目平和の鐘※3 | ベル型(800kg) | 昭和24年 | 中央公園(旧護国神社前)「市民広場」 | 昭和24年8月広島銅合金鋳造会が、平和記念都市建設法制定を記念して市へ寄贈/中央公園の鉄塔に仮設置※5、同所に現存※4 |
- | - | 昭和25年 | 中央公園(旧護国神社前)「市民広場」予定 | 朝鮮戦争の影響により式典中止/「平和の鐘」だけは鳴らされた |
昭和26年 | 中島公園(戦災供養塔前) | 平和式典を再開するが平和の鐘を不使用/初代「平和の鐘」が盗難にあったため、式典では鐘の替わりにサイレンが鳴らされた | ||
3代目平和の鐘 | 半鐘(21.5kg) | 昭和27~39年 | 平和記念公園「原爆慰霊碑前」 | 光元寺(中広町)から借り受けて使用/昭和40年1月、光元寺が焼失/鐘は平成24年、光元寺より原爆資料館に寄贈 |
4代目平和の鐘 | 半鐘 | 昭和40~41年 | 光元寺が焼失のため、観音寺(元宇品)から借り受けて使用/観音寺に現存 | |
5代目平和の鐘 | 半鐘(90kg) | 昭和42~現在 | 香取正彦氏(人間国宝)が市へ寄贈/式典以外の期間は原爆資料館に展示・保管 |
※1) 初代「平和の鐘」は昭和22年12月5~8日の天皇行幸の際、天皇の相生橋通過の時に鳴らされた。
「ああ広島平和の鐘も鳴りはじめ、たちなほる見えてうれしかりけり」(昭和天皇御製)
※2) 昭和27年3月、中島公園と原爆ドーム周辺を合わせて「平和記念公園」として都市計画決定された。
※3) 昭和22年~24年までの式典で鐘を鳴らしたのは浜井市長であった。昭和22年と24年では14回点打された。昭和27年以降は誰の手によるか報道されていない。
※4) 昭和48年、市は関係者の指摘で放置されたままの2代目「平和の鐘」のいわれを知った(「検証ヒロシマ1945-1995」中国新聞社より)。
※5) 2代目「平和の鐘」は将来、中島公園に鉄筋コンクリートの鐘楼を建設して中央公園から移設する計画であった(中国新聞昭和24年6月23日より)。