塔の足元の掘り下げと塗装

令和3(2021)年の2月から7月にかけて、2代目平和の鐘の塔とその周辺の整備が広島市の手で行われました。昭和24年に建設された当時の状態にできるだけ戻すための復元工事です。ここでは、その様子を記録します。

施主:広島市都市整備局緑化推進部

なぜ掘り下げたか

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工事前の足元の様子

第6回祈念式までの平和の鐘点打の様子です。上から引き下ろしたロープを、滑車を経由して横に引っ張るようにして鐘を打っています。これは、塔の下についている円盤の位置が低いために、下に潜り込むことができないためでした。
円盤から地面までの間にある丸い穴が4個であることに目をとめてください。

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建設当初の様子

ところが、もとは円盤がもっと高いところにあったのです。
被爆70年史の付録DVD(映画「平和都市ひろしま」)に記録されていた第3回広島平和祭のシーンでは、女性が円盤の下に立ってつり革のようなものを下に引いて鐘を鳴らしていました。

写真は、毎日新聞社の「戦後50年」に紹介された1953年の2代目平和の鐘です。円盤は今よりもずっと高いところにあって、塔柱の足元には金属のリブがつき、その下に舗装された円形の基壇のあることがわかります。円盤から基壇までの間に、6個の丸い穴が見えます。

これは、もちろん円盤が下がってきたためではありません。昭和50年代に中央公園の整備にあわせて埋め立てられたため、結果的に円盤の位置が寸詰まりになったのです。埋まった深さは、穴の数からみておよそ60センチくらいと思われました。

広島市へのお願い

このことに気が付いた当実行委員会は、この鐘を風化に任せ、歴史の彼方に忘れ去ることはどうしてもできないという思いから、鐘の所有者である広島市に原状への回復をお願いすることにしました。左は、2020年9月に広島市長あてに出した「お願い」です(クリックすると、pdfでダウンロードできます)。
広島市には、このことを理解していただき、ちょうどこの鐘を含む旧広島市民球場跡地一帯で開催していた「ひろしま はなのわ 2020」(第37回全国都市緑化ひろしまフェア:3月19日~11月23日)の閉会後、現状復旧にあわせて鐘の周辺整備をしていただくこととなりました。

掘ってみると

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2021年2月22日
掘ってみると、およそ1メートル下から円形のコンクリート基壇が出てきました。厚みからみて、いわゆる床スラブのようなもので、さらに下にコンクリートの基礎梁が埋まっているようでした。
鉄骨の色の変わっているのが地下に埋まっていた部分です。心配していた鉄部の腐食による劣化はそれほど進んでいないことが確認できました。
そこで、コンクリートの厚みを積み増すことで基壇を補強し、鉄部の錆などを落として全体の塗装をやり直すことにしました。

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コンクリートの円形の基壇を打ったところです。厚さはおよそ20センチ、鉄筋がはいっています。結果的にその厚みの分だけ当初と比べて円盤の高さが低くなりますが、それでも180センチの高さは確保できるので、第3回平和祭のときのように下にはいって鐘を鳴らすことができます。

周囲がきれいになりました

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4月18日
周辺とくぼ地状になった斜面に芝を張り、ハノーバー庭園側からは石段でアプローチできるようにして、見違えるようになりました。南側の樹木も伐採して、真正面に原爆ドームを望むことができます。
これまで、市民球場や青少年センターや木立の陰になって、あまりかえりみられることのなかった2代目平和の鐘が、新しく広島の象徴のひとつになった感があります。