制作の経緯

2代目平和の鐘(昭和24年)

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松村伸吉氏提供

初代の平和の鐘は、旧海軍払下げの鐘を民間建設業者から借用したものでした。いつまでも借り物ではいけないと広島銅合金鋳造会が新しい鐘を鋳造して寄贈したのが2代目平和の鐘です。今ももとの場所に現存しています。

  山本博(広島工業専門学校教授)さんが設計
  片島三朗(山本研究室助手)さんが鋳造指導
  片山天玲(郷土の日本画家)さんがハトと波模様のデザイン

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1950年代の2代目平和の鐘(Wikipediaより)

「被爆した金属で鋳造することで、ヒロシマの悲惨を後世に伝えよう」と造る、当初はつり鐘型の予定だったが浜井信三広島市長が「世界の平和を祈るのだから、外国人にもなじめるものを」とベル型にした、と伝えられています。
「NO MORE HIROSHIMAS」の英文と平和の象徴の鳩の羽ばたきが刻み込まれています。

「平和の鐘」鋳造現場

安佐郡緑井村にあった広島金属鋳造所(岩本合金所)で、関係者総出で命がけの大規模な鋳造作業が行われました。
写真左上に「平和の鐘」の横断幕が掲示されています。

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松村伸吉氏提供


平和の鐘ついに完成

昭和24年8月2日撮影。

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荘川一子氏提供


平和の鐘寄贈式(昭和24年8月5日)

広島銅合金鋳造会と関係者の皆さん。
中央に当時の市長・浜井信三氏。右隣は鋳造会会長の松村米吉氏。

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松村伸吉氏提供


2代目「平和の鐘」爆心地へ

安佐郡緑井村で鋳造された「平和の鐘」は昭和24年8月5日朝、横川駅から荷車で市内へ。金銀朱塗りの鞍をのせた牛7頭、馬3頭に引かれて、新しい「平和の鐘」が相生橋を渡り、旧護国神社前(市民広場)の鉄骨の平和塔につりさげられました。

中国新聞社提供


第3回平和祭(平和記念式典)

翌日の8月6日、3千人の市民が市民広場に参列し、前日に搬入された2代目「平和の鐘」が打ち鳴らされました。左の写真手前の高さ9メートルの鉄骨の塔につられているのが「平和の鐘」。塔とともに、このまま中央公園ハノーバー庭園近くに現存しています。

被爆50周年写真集「ヒロシマの記録」中国新聞社より


現在の平和の鐘

広島市中央公園の一角に立つ2代目「平和の鐘」

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2代目「平和の鐘」の解説銘板。
「昭和24年、当時の広島銅合金鋳造会が、原爆犠牲者の鎮魂と平和への願いをこめて焼け跡から集めた金属を鋳込んで作り、広島市に寄贈された。
同年8月6日の平和祭に打ち鳴らされた由緒ある鐘。
口径1.2m 高さ1.4m 重さ800kg
英文でノーモアヒロシマズと平和の象徴の羽ばたきが刻み込まれている。」

当時の市内銅合金鋳造所一覧

昭和24年頃に広島市内にあった銅合金鋳造所は次のとおりです。

(調査中です。50音順に掲載)

伊井合金所、市場重工業、宇品金属工業、大田鋳造所、岡田合金所、金子合金、慶徳工業、坂本重工業、坂本鋳物、天満合金、中島鋳工所、中広合金、中本合金、野間合金、広島金属鋳造所平賀合金、松戸合金、松村合金所西本合金三篠鋳造所、森合金鋳造所、山福合金所、山本合金所

●平賀繁彦氏(平賀金属工業)松村伸吉氏(松村金属)からの聞き取り及び昭和39年に設立された広島非鉄金属懇話会の会員資料(西本光徳氏・三篠鋳造の提供)を参考に作成した。
●広島銅合金鋳造会は上記の銅合金鋳造所の中から名乗り出た13社で結成された。会長は松村米吉氏(松村合金所)
赤字 は広島銅合金鋳造会の構成員と確認できた鋳造所。